最近あんスタの声優さんたちが歌っているカバー集を聞いているのですが、声優さんが歌うカバー曲が良くてですね。
りらちゃんの声が全然好きじゃなかったっていうのもあるんだけど声優カバーバージョンが良すぎて(一部すっごい下手なんだけど)こればっかり聞いております。
表現力っていう言葉はこういう時に使うんだなあと思いました(よあそびの「アイドル」と、高橋李依さん?の「アイドル」聞き比べてみて!)
そこに出てくる、よあそびの、ええとタイトルなんだっけ、あ、「夜に駆ける」だ、よあそびってさ、まずそもそも、存在しているあらゆる素材をかき集めて曲を作る感じじゃん?多分作ってる人すごい頭いいんだろうなって思うよ。色んな音楽の、色んな部分を上手いこと組み合わせて空間というか音楽をまとめている。
で、歌詞がゴチャゴチャしてるじゃん?
そんで、何言ってんのか分かんないから、歌詞カードを見たんだけど、
「触れる心、ない、言葉、うるさい声に、なみだーが」
っていうところがあって、何言ってんのかなってずっと思ってたんだけど、「触れる、心無い言葉(と)、うるさい声に」だったんだね。
「触れる」は連体形だったんだ。笑
触れる心、 ない言葉、うるさい。声に涙が~
って頭の中で思ってたから何言ってんのか全然わかんなくて戸惑ってたんだよね。
その話を長子と気づいて、「触れる!!心無い言葉か!!!」ってなったんだけど、長子が、「そうやっておかしな詰め込み方をするから覚えられないし歌いにくいんだ」と言ったわけです。
私はそこで一瞬納得しかけたんだけど、たとえそのおかしな並べ方したところで、若者(中学生)は与えられた通りに素直に聞き取り、「フレル ココロ ナイ コトバ ウルサイ コエニ」という音で記憶、再生しているわけです。
悪いのは言葉を変なふうに詰め込むことではなく、そこについていけなくなる頭の固さなのだよ。
要領の良さっていうのは自分のキャパシティ内で事物を判断して収めることだと思うけど、キャパシティを確保するのも日々の努力のたまものだと思うわけよ。
だから「触れる、心無い言葉」っていうように要領よく覚えなくても行けるように、日々キャパシティーを広げ続ける努力は怠りたくないなと強く思ったわけです。