分からないものを、分からないままに保留しておくことっていうのは、ええと、言い方が誤解を招きそうなので言い直すね?
答えが確定していないある問いについて、考えることを放棄したり、或いはその問いそのものを存在しなかったものとして扱ったり、または無理やり近似値でも答えを出して結論としてしまったりすることは、人類がよくやることで、合理的だと思う。
私はそれが出来ないというか、超頭がいいので、それをやる必要が無い人生を送ってきたわけです。
どういうことかというと、答えが出そうだけど、真理とは言えないな、とか、正解であるという確信は持てないなあというような問いについて、ずーっと人生と並行して考え続けるのです。
複数同時にね。
でも誰だっけ、ええと中国の英雄、商人出身で秦の始皇帝の最大の敵みたいなあいつ…呂不韋。
呂不韋のような、万人を説得する合理的なこじ付けを得意とする、発言力と影響力と権力を持つ人物が現れると、突然その「結論の保留」が打ち消され、重要かもしれない思考の工程をバン!と断たれてしまうわけです。
小さなことでも思考の過程を放棄せず、結論に至るまであらゆる可能性を忘れず、考え続けることを良しとしない合理主義者は、世界の駒をずんずんと進めるのにはとても良い存在ではあるが、彼らが非合理的な存在や多様性を否定するようになると世界は二極化されてしまうわけです。
二極化というのはつまり、良いか悪いかの二択。
ダメなのよそういうのって。
だって世界というか人間活動ってそんな単純なものじゃないからね…せめて2万極くらいにしてよ。。。それでも「自分は完全にその意見に同意です」って言えない人沢山出てくると思う。
たった二つしかない、良いか悪いか、強いか弱いかに分けちゃうと、実に複雑な思考はすべて放棄せざるを得ず、また人間の持つ複雑性はすべて否定されることになる。
何も考えられない人にとってはとても分かりやすくて生きやすいと感じるかもしれない。でもそんな人でも実は文字化できないだけで複雑な中で生きてるわけです。
答えが出ないことは悪いことではないし、思考を文字化できなくても悶々としておけばいいのです。
だから簡単に答えを教えてくれようとする奴には警戒していい。悶々としといたほうがいい。分かんなくてもね!
