珍しく

そんなに眠くないです。いや正確に言うと眠気が去った後です、今。

そんで鼻が超かゆいです。ハックルベリーフィンに出てくる、緊張シーンみたい。(息を殺さなきゃいけないのに鼻がかゆくなってきてもう今にも耐えられなくてしぬってところで何とか鼻がかける)

かゆみって我慢できないよねえ。。。

私もうどうしようもないから歩いて病院行ったよ(※5分)気温が暑すぎないから歩いていくのも良かったよ。運動不足すぎなんだと思う。

あと部屋を掃除しろって言われた。はい。

色々捨てないとね?

Logo

Unagi Pacificのロゴを作ったよ。

Upacific logo
U.pacific logo

U.Pacificの方がいいかなと思ったんだけどドットが入るとなんか見た目が気持ち悪いからやめたよ。

よく見ると左側がズレてて気になるな・・・作り直そう。

U.pacific logo

色も変えたよ。どうかな。

WordPress集中執筆モード

あ、集中執筆モードをオンにすると、メニューが消えるらしいよ。

しかし私は仕事中なのでウインドウ幅を小さくしているため

めちゃくちゃ見える。メニューが。

ウィンドウ幅を広げたら確かにメニューが消えたよ。

それどころか段落に入力し始めたら別のメニューまで現れる始末。

当たり前のように背後のウインドウには新着メール来てるし、Teamsのウィンドウも開いている。

全然集中できねえ。

集中執筆

なんか知らんけどこのブログに「集中執筆・オン/オフ」機能が加わっていることに気づいた。何そのモード?

私の様に一度に色んなことを同時にやろうとする人間に「集中執筆モード」など何の役にも立たないのではないか。

何が変わったのか分からん。。

邪魔されずに執筆って、何に邪魔されないんだろ。全然違いがわからんよ。。

今もひたすら「G」のマーク

が邪魔してきてるけど。

何なのよ。十分邪魔されてるっつの。

で結局どうすればいいかって話

DVを行う人間の距離感はどうやって作られるかっていうと、やっぱり成育環境なんだよね。

親からDVを受けがちな社会(儒教)で育つと、どう見てもDVみたいなのが社会でまかり通るわけです。今は教育が少しマシになってきたから子供を殴っちゃいけないってみんな知ってるけど、昔は浴槽に沈めるとか冬に外に裸で立たせるとか殴る蹴る当たり前の家庭もそんなに少なくなかったわけです。

親からしてみれば子供は所有物だから、まぁなにしてもいい存在だったんだろうけど、そうやって育った子供たちは、大人になると近い人間は所有物、自分より力が弱い人間は力で言うことを聞かせるのが真理だという世界に生きることになっちゃう。

昔よくあった「家庭内暴力」は子供が親をバットで殴ったりとかだったけど、それらだって親たちが子供が小さいころ同じ目に(=力で言うことを聞かせる、八つ当たりで自分の感情を解消する)遭わせてたんだもんね。ちゃんと親に返してる辺り、親子の信頼関係が築けていて偉いよむしろ。

まぁだからDVで殴ってる方もさ、まずは相手が、自分じゃない時点で「別の人間である」ってことをまず知らないとだめだよね。自分が小さいころ親きょうだいから受けた仕打ちは決して正しいものではなかった、自分は被害者なんだと知るところから始めていくのがいいと思うよ。

あとは本を沢山読んで語彙力を増やすことが大事。

頑張って(知らん人へ)

DVシーン

今朝ネットで炎上していた、誰かが誰かにDVを行うシーンの録音を聞きました。女がキイキイ言ってて男が「またやったね・・・」とか言っててまだキイキイ言ったら男がいきなり殴ってくるというビックリドッキリシーンでした。

殴るという行為は、当然ながら自分の思考を文字化、文章化出来ないから起こることで、更に言うと前頭葉が十分に発達していないので盛り上がった感情を抑えることが出来ないという状態が同時におきているわけです。

感情が盛り上がって泣いちゃうとかそういうのも前頭葉のなせる業なわけで、これは全部が全部悪いというわけではないのです。なぜならものすごく強い感情はため込むと体に良くないので涙として外に出したりプンプン怒ってガス抜きをしたりするのは体にとって悪いことじゃないからです。

しかしながら大体はその強い感情というのは子供のころから思春期にかけて、脳が発達していくにつれてだんだんと上手く付き合っていけるようになるわけです。感情を文字化、文章化することによって自分の気持ちを論理的に処理することが出来るようになるからです。これが理性的な人間を作り、社会生活を送るうえで「自分以外の人間を害すると自分にとって不都合である」ことを学ぶわけです。

DV(ドメスティックなバイオレンス)を行う人っていうのは大体が家族メンバーとか同居人とか近い友達と、自分そのものの距離が取れていない人です。

近いところにいつもいる=相手をよくわかっている=相手も自分をよくわかっている=同一人物(ただし相手の方が格下)

と考えがちなわけです。だから相手が自分の意思と異なることを行うと「え?なに!?なぜ俺の意思と異なること言ってんの?俺に喧嘩売ってんの?」と、俄然攻撃を受けた気持ちになるのです。完全に自分のことを分かっている、言ってみれば自分の意思と同じ存在から受ける強い被害です。

だから例えば普通の前頭葉の育った人から見ると「そんなこと」でその人は強く攻撃を受け深く傷つき、そしてストレス値がマックスに至るわけです。

別に瞬間沸騰してるわけじゃなくて、近い相手から受けた傷が深すぎるわけよ。そして自分の中で自分は被害者こいつ加害者やり返さなきゃみたいなのがあって、でも言葉が通じないから言うことを聞かせる(=お前は俺のものであるということを思い出させる)ために殴る蹴るの具体的な暴行に出るわけです。

で、まぁ例えば目の前の人物が明らかに痛がっていて、例えば吹っ飛ぶとか出血するとか泣くとか逃げるとかやると、ある程度の人間はもう大丈夫、勝ったって思って行為をやめるわけですが、逮捕されるレベルのDV野郎になってくると今度は様子が異なることが分かります。

今朝聞いたDVシーン録音では、殴っている男がひたすら殴りながら「ころしてやる。今すぐころしてやる」と、冷静に何度も唱えていました。

これはこのセリフを自分の口で言って自分の脳に聞かせてる時点で相手との関係性などどうでもよく、残りはちょっと高い位置から自分を見下ろし、殴る自分を客観的に見ているところがあるわけです。

映画見てるみたいな。

ここまでくると見えているのは自分のことだけ。相手の悲鳴だの痛そうな音なんかは全部自分の世界から乖離して、暴力的な自分と、それだけ相手に恐怖を与えることが出来ている自分を誇らしげに見ているのです。

だから結果相手が病院行くほどのケガを負ったり、なんならしんじゃったりするわけです。

でも暴力中は乖離しちゃってるから罪悪感とかもないの。ただ冷静になった時、いろんなことを思い出して、「ひょっとして、俺、怒られることやった?」みたいな感情になるわけです。

DV人間ってのは大体が他人との距離を誤っていることが多いので、まず一人になって色々向き合わないとダメだね。

しかしこの今の人間社会で一人になるってのは相当難しいから何とか頑張って気付いて欲しいね。

誰に言ってるのか。

ブログ、誰か見に来てる人いるのかなって最近ちょっと思うんだけど、来てる人いる?いても反応出来ないね?

人は年を取ると色んなことがめんどくさくなって、「まあいいか」が増えていく。これが人間付き合いにも言えてて、頑張れていた時は常に人のことばっかり気にして生きていたけど、まぁめんどくさいし良いかって思っちゃうことが増えるんだよね。

でも多分ご挨拶は大切だし、ヒトに対していい加減な態度で接するのも良くないと思うわけです。時々自分に言い聞かせてるんだけど、中々アレだね。SNSもすぐやめちゃうし。

特に今の職場は親世代みたいな人たちに囲まれているのでいよいよめんどくささが増してしまって良くない。

こないだネットで何か自分の作ったご飯を上げている人がいて、その人がご飯に付け加えていた一言が

「俺ならこうする」

だったわけです。

私も、他人がどうとかじゃなくて、自分ならどうするかなって考えて行動したいと思いながら毎回忘れる(もうろく)

hema

眠いからと言ってへまをするのは緊張感が欠如している証拠である。

私はいくら眠くてもミスはしない。

そういう時代もあった。

あったんだけど、今は目が覚めるレベルのへまをしでかしちゃった☆あーびっくりした。超目が覚めた。