前に見たヤフーニュースの記事に、性転換した男(元女)が子供を産みたくなったのでホルモン剤注入して妊娠できる体(女)に一時的に戻して妊娠、出産した後は病院の対応に不満があったというのがあった。
どういう不満かというと、助産院では医師・看護師スタッフ全員が自分のことをママと呼んだのが不満だったという。どうして欲しかったかというとパパと呼んで欲しかったという話だった。
コメント欄の一番上には「何が何だか分からないな」的なことが載っていて笑ってしまった。
「男」が出産出来る日が来るとは。
夢に見ていた、男が出産・・・?ちょっと違うけど、まぁ男として出産できてよかったね。しかし、男として出産したなら男用の病室に入れてほしいなあとちょっと思いました。男と同じ病室で授乳とかやだなあ。
とりあえず自分をジェンダー「男女」で分けたくない人と、体と心(?)が男女別な人がいるわけで。心が男っていうのは、男を性対象としてみているのか?それとも心が男で、見た目が「女」の人のことを好きってこと?
ここにきてジェンダーという言葉が本当に意味を持っているなあと感じる。ジェンダー(社会的性差)って、社会が決めた性別に自分をどうやって当てはめるかって話だから、例えば「男らしい男」「一目で男と分かる男」というのがジェンダーでいう男で、「一目で女と認識できる存在」を女とする、とするととても分かりやすい。自分の生物学的な体は男か女かの二種類(または生物学的に決定されない人もいるかな)だとして、心が、社会に存在する「女」か「男」のどちらかを選んでそれになりたがっているってことだよね。
私は日本の社会や慣習が嫌いだったのでその日本が決めた性差を受け入れることは到底出来なかったけど、「お母さん」というラベリングだけはまぁいいか、子供育ててるし「お母さん」で、って思ったんだよね。性差でいうとお母さんは必ず女だから仕方なしに女のところにチェックを入れざるを得なかったけど。でも「男」になりたいと思ったことはないし、日本社会では「男」の方が有利だなあと何度も思ったことはあれど、男を名乗りたいことは一度もない。もちろん女名乗りたいこともない。女って、世間に流布してるあれらでしょ??
自分がその一部だとはとても思えない。アメリカ行ったとき、店員さんが「Can I help you…..Ma-am?」
って、最後すごい迷って私をMa-am扱いしたのでちょっと「うおっ」って思ったけど(その時はありがとって言って断ったけど)あれは異文化の中にいる自分だから、ローマにいたらローマ人のように振舞う私はMa-am扱いされても別に気にならなかったけど、あれはアメリカには私のような、男に見えるらしい「女性」も、たっくさんいたから気にならなかったんだろうと思う。アメリカは自由だった。日本みたいなばかばかしい程に四角四面の世界じゃなかった。(遠い目)
あああ話が変わりすぎぃ。何が言いたかったのかというと、声を上げやすい世界になってよかったね。おれのおかげ。ってこと。感謝しなよみんな。