猫たちの様子

猫たちは調律師が来るなりダッシュで二階に逃げていきました。かわい。

雌猫たちは普段知らない人が来ても割と平気で、変な道具箱とかに興味津々でにおいを嗅ぎに来たりするんだけど今日はなんつってもピアノ(※超うるさい)をひたすらでかい音で鳴らす奴だから逃げた。

可愛い。

にゃーちゃん(オス)だけは誰が来ても二階の子供のベッドの下、しかも入り口から一番遠い場所に入り込んで警戒し続けています。今も多分そうしてる。

と思ったら二階で寝ている長子からメール。「調律の音にびびったにゃーちゃんがオレの布団の中に入ってきた(⌒∇⌒)」

なんだと……。。。

人生で一度も人間の布団に入ったことがない猫が自ら飛び込んで来た…だと……!?くそ、、「ふわふわ!!」って送られてきた。。。 くそう!!

メス猫たちはどうしてるんだろ。

メス猫たちはベッドの下らしい。くそうくそううらやましい。早く帰らないかなあ。。。

緑の天幕読んでる

明日返さなきゃいけないのに昨日から読み始めたよ。まずリュドミラ・ウリツカヤはいきなり代名詞呼ばわりだった人の名前出すのやめて。祖母って言ってたのにいきなり「アンナは」って言いだした時は「誰」って思っただけでなく周辺を何度も読み返したよ。

しかしながら文脈から判断していける。ひょっとして祖母の名前か?ってなった。結局そうだった。こういうのってロシア的な語り口なのかなって思った。オーリャだのミースだの綽名になって呼ばれるともう誰だか分からん。分かる人もいるけど分からん。

でも面白いので残り半分くらいにまで進んでいます。これなら明日返すまでに読み終わりそう。さすがにこの調律のうるさい中読めないけどね。まるで私は仕事してます見たいな顔してブログ更新しまくってるけどね。お茶・・出した方がいいのかな。。。早く帰ってほしいからいやだな。。。どうしよ。。。

色んな人が出てきて色んな人が成長しながら時代の大きな変化の中で暮らしていて、なんだろうこの感じ、普通の人はそんなに時代の大きな変化の中にいないので、大きな変化の時代における一般人(?)のストーリーっていうのは、その人の人生や感情にそこまで大きなやチャンスがなくても、環境が変わり過ぎているのでその中での平凡さというか、必死さというか、そういうものが光るような気がする。

ただ戦争で右手を失ったりしてて、その描写が「その時に右手も失った」的な一言で済まされているのがこれはこれで怖いけど。

早く帰らないかなあ。。。まだまだかかるのかなあ。。。

低音もう少し綺麗な音にしてほしい。無理かなあ。

来たwwww

最初からめっちゃピアノ拭いてる(ごめん)

一応ほこりを取るためにこちらでも拭いたんですけど全然足りなかったかな///

あとなんでピアノ調律師ってみんなフォルクスワーゲンに乗ってるの?なんで?なんで?

しかしこの方、音叉じゃなくてiPhoneでAの音出してるけど耳大丈夫かな。

あとハァハァ言ってる。。いやな感じがする……!次回から女性に頼みたい。。。

こういうのは差別ですね!でも女の人だとホッとするんだよね。。男は大変だね、初対面から警戒されてさ。アレだよ、全身武装してる感じで初対面の人と会った方がいいよ男は。北斗の拳の悪役みたいに、肩とかにトゲトゲ生えてて、かつ両手に拳銃持ってる感じ。でも自分は決してあなたに危害を加えるつもりはありませんよっていうアピールを必死でやって、初めてほんの少しだけ警戒心が解いてもらえるんだよ。マジ男大変だな。

だから痩せていて小さい男の方が少し有利だよね、女の人相手の対応だと。知らんけど。

前回の調律から10年以上経過してるけど思ったほど音は乱れていない様子。しかしながら音がずれていて気持ち悪い。調律中も随分歪んだ音が気持ち悪い。アナログディストーションピアノ。

ああ早く帰らないかなあ。。

片付け終わった(諦めたともいう)

最近ほら私マズローのピラミッドの頂点にいるからさ、人の目がそんなに気にならないわけよ。どっちかというと常識がないから常識から外れ過ぎないように気を付けてはいるけど、実際はヒトからどう思われようとそんなに気にならなくなってしまっているわけですよ。

だから実は家の中が超汚くてもお客さんを呼べるし、いや言い過ぎた、多少は汚くてもお客さんを呼べるようになったんですよ。いや、違うな、片付けました。

でも長子が小学校1年生のころの家庭訪問時のようには片付いていないのです。

いわゆる片付いたおうちほどではないが、床とテーブルの上には少なくとも何も落ちていない状態よ。

あとちょっと前に自分の部屋を片付けたから(ほとんどゴミだった)(しかもそんなに大量に捨てたのにも関わらずまだすごいモノが大量にあふれている。)一昨日ジェイコムのインターネット設置者が来た時も慌てずにいられたよ!(対応をすべて配偶者に任せて自分はバーガーキングに逃げた)

そんなわけでピアノの調律師よ、いつでも来てください。

お待ちしております。

さよならEchofon

何か泣ける

Echofonは、言ってみれば初めて課金したアプリと言えるかもしれない。(なぜなら他は全然覚えていないから。)12年前は900円だったか800円だったかだったよ。快く支払ったよ。頑張っての気持ちを込めて。

Twitter公式のアプリが驚くほど使えなかった時代、サードパーティーは頑張った。ユーザーがより便利なTwitterライフを送るために。あの頃出てきたサードパーティーアプリはどれも使いやすく、どれもユーザー目線で作られていた。Echofonは、なかでもシンプルで、単にツイートしたい人にシンプルな体験をさせてくれる良いアプリだった。

次第にTwitter公式アプリは承認欲求通知を追加、ユーザーが頭を使わないで済むように少しずつキュレーション的なことを、つまりユーザーの頭の使い方を誘導するようなことをし始めた。トレンドの登場である。さらにはニュース記事やトレンド、或いはフォロイーが付けた「いいね」に従い、フォロー外のツイートも読まされる等するようになった。なんなら誰をフォローすることなく、Twitterアプリを開けば何らかの新しいツイートが表示されるようになった。完全に思考停止である。

結果、世界には分断が起きた。Twitterによるネット民の分断である。

いや大げさかもしれないけどTwitter内では確かに分断が起きていた。12年前はただ人々がTwitterでどうでもいい脳内を垂れ流し、それを目にした別のユーザーから会話が始まったりして、いわゆるただのネット上のソーシャルだったんだ。支配者がいてその思惑通りに世界を動かす、とかそういうんじゃなかったんだよ。

その時代に出来たサードパーティーによるTwitterアプリたちが、今独裁者ミスターツイッター(頭悪そう)によって除外されてしまった。Twitterは今、末端の人間が誰でも使用しているスマートフォンによる脳内被支配サービスに変貌を遂げてしまった。

実際のところTwitterやってても全然面白くないし、Twitter民も昔からいるやつは「まだ同じこと言ってるよ。成長は?!」みたいな感じになって来てるし、害悪な沈殿物しか残ってない(ごめんいいすぎた)んじゃないのかと思うほど。

企業がサービスの告知に使うくらいしかリアルタイムで配信するメリットもないけど、その告知を受け取るためだけのサービスはもはやSNSとは言わない。今までメールで配信していたものをタイムラインで受け取るだけ。

Twitterについてここまで文句ばっか言うなら見なきゃいいじゃないと思うじゃん。

もう見てないんだけど、昨日Echofonがアップデートのコーナーにいたから見に行ったんだよね。そしたら「ジャスト・セイング・グッバイ」って書いてあって、涙出そうになったよ!

そんでアップデートして、立ち上げたらトップの画面が表示されたよ。とりあえずアップデートしてくださいってメールアドレス登録しといた。

Twitterより楽しいサービスが他に現れるといいなと思いながら。

小春日和

いやー部屋掃除しなきゃいけないと思うだけでブログ更新が進むねええ。

今は猫がニャ、ニャ、ニャというので窓を開けてあげました。そしたら外はすごくポカポカした日差しと穏やかな空気が流れているじゃない。

少し離れた道路から聞こえてくる車の音も穏やかで、ちょっとした春の日のよう。良い気持ちです。

猫は窓辺に寝転んで外を眺めているんだけど、黒いから右半分だけ超あったかくなっている(笑)

可愛いにもほどがある。

色々

リュドミラって言う名前が如何にもロシアっぽいなって思う。

新潮社はクレストだったかそんな名前のシリーズで色んな現代文学を随時翻訳していて、その随時っぷりがすごい当たりはずれの多さも招いているんだけど、気になる本が手軽に読めるというメリットもある。そのなかにリュドミラ・ウリツカヤがいる。

リュドミラ・ウリツカヤはロシアの作家で、というか、ソ連の作家というべきか、例のドヴラートフやブローニン(のちのノーベル文学賞受賞詩人)のようにソ連時代に国内で出版を認められていなかったような恵まれない作家とは違い、デビューはしていたし、連盟的なものにも名を連ねてきた人らしい。

つまりソ連国内での出版が許され、ソ連の人たちがその作品を手に取って読むチャンスはあったんだけど、あまり評価されていなかった人。

ブッカー賞をもらった時、「最初にノミネートされた作品の方で受賞してたらうれしかったけどね」ってやさぐれていたらしい。笑

ずっと気になっていたんだけど(タイトルが緑の天幕といういかにも面白そうなものだったので)、わが田舎町の図書館には、その「ソーネチカ」(最初にノミネートされていた方)と「緑の天幕」の両方が置いてあった。

わが町の図書館本当に良いんだよ。

まぁとにかくその両方を借りて、まずは若いころに書いた方の「ソーネチカ」を読んだわけです。

もしこれを私が若い頃に読んでいたら発狂するレベルのバカバカしさでした。バカバカしいという言い方は適切じゃない。しかし感情を煽られる問題作となっていたでしょう。例えて言うならフランス映画の「髪結いの亭主」を見た後のようなイラつきが残ったでしょう。

しかしまぁ随分年を取って、若々しさのかけらも残っていない今読んだので、すんなりと「あそう」って言えました。よかった。

好きか嫌いかで言えば、家具や調度品は好き。空気も好き。しかし登場人物はその調度品の一部となっていて別に感情移入も何も出来ない。悪いことじゃない。ここで登場人物に感情移入したらこめかみの血管から鮮血が吹き出ちゃう。

遠く離れた、他人のやってることって感じで読み進めるといい感じに流れた。

他人事、という言葉がぴったり。ドストエフスキーは血沸き肉躍ったけどウリツカヤは寒くて白い光のさす部屋で綺麗に時間が流れているのを目を細めてみてる感じでした。

同じようにドヴラートフの作品も他人事なところがあるけど、もう少しひょうひょうとしていて好き。

リュドミラ・ウリツカヤに限らずだけど、ロシア人はその名前に父親の名前が入ってくるくらい、父親の存在が全員の中にある。

女性でも名乗る時に父親の名前も入った名前を言わなければならない。それほど父親の存在が常に自分とある。そんな国で生まれ育って、父親の存在を無視して物語を作ることなんて出来るんだろうか。どこにいても必ず父親が居て、それを自分に当てはめて想像するだけで無理ィ!!

リュドミラ・ウリツカヤは父性がエヴゲーニエヴナだって。父親の名前がエヴゲニーなのがわかんだね。

「緑の天幕」を読み始めたけど、ドストエフスキーやトルストイのような読みづらさがないからサクサク進むには進むんだけど、部屋の掃除が待っていて今読むのはやめとこうと思う。

Highway Internet の消失

インターネットが今ほど一般的でなかった、しかし広がりつつあったあの時、ISP(インターネットサービスプロバイダー)なるものが次々と立ち上がりました。

私が初めてIBMのAptivaを手に入れた時代、それは初代iMacが新発売され、Macが大売れに売れまくった時代でもありました。

Aptivaは今思えばとてもよい買い物でした。14万5千800円だった気がする。15万だったっけ忘れた。

とにかくインターネットにつなぐためにプロバイダー契約をしなければならないことを知った私は、どこがいいのか分からないのでとりあえず片っ端から無料のところに個人情報を登録していきました。aolとかな!!懐かしっっ

AOLは結構あのユーガッタメールのあのコールが今でも思い出すだけでワクワクさせてくれるじゃん。

あれこれ申し込んで、結局落ち着いたところがハイウェイ・インターネットでした。他は全部解約しました。そして長年ハイウェイ・インターネットは潰れそうになるたびに色んな会社に買い取ってもらってうまいことやってきました。

ハイウェイはいつのまにかU-senの配下からソニーネットワークコミュニケーションズ(そんな名前だったか)に移りました。ハイウェイのメールアドレスは、ソニーに移行してから少しして、so-netのそれに変わりました。

so-netはハイウェイユーザーを疎み、ハイウェイユーザーは年々居心地が悪くなっていきました。それでもプロバイダー料金は980円程度と、ハイウェイ時代から変わらず、残って行きました。

しかし今日、2023年1月31日をもって、ソニーネットワークコミュニケーションズは、プロバイディングサービスを終了します。

そう、ハイウェイ・インターネットの終焉です。今までずっとなんとか持ちこたえてきたハイウェイ・インターネットですが、ついに本日をもって完全消失です。ハイウェイのメールアドレス(highway.ne.jp)が消えた時点で消失と考えてもいいんだけどまだプロバイディングはしてたからね。

ハイウェイのサービス部門は毎回危機をうまい感じに売却で乗り越えて来たけど、ここまでだった。担当者の退職だろうか。今時プロバイディングだけじゃだめなんだろうね。

NTT光のサイトにもプロバイダー情報とかもうニフティとかしかないよ。

我が家のインターネット、明日からどうしよ。

そんなこというから

眠くて寝そう今にも。

昨日も8時に寝たのに。眠い。あれかな遺伝子的な何かかな。

遺伝子情報に「働くと眠くなる」的なの入ってるんじゃないかな。

事務のくそデブがどんなにムカついても眠い。不思議。怒りは眠気を飛ばさないんだ。