実写化の駄目すぎる

実写化のダメダメなところは、節々を端折らなければいけないところだと思うんだよね。端折るところを決めるのは監督または脚本家?なんでしょうけど、監督や脚本家が原作をめったくそに読み込んで理解していないと、本当に台無しになっちゃう。

私こないだついうっかりポワロの最終回を実写で見てしまったんだよ。

原作読む前に…!!

ポワロのテレビ版は誰が作ったのか知らんけど原作の重要なシーンというか台詞を一番腹が立つやり方で改変するんだよ。

一個ネタバレになるけど言っていい?「スタイルズ荘の怪事件」(シリーズ第一作目にしてアガサ・クリスティのデビュー作)の中で、薬剤師の女性名前なんつったっけな。。。ええと……シンシア! が、病院に遊びに来たヘイスティングスに

「すごい数の壜ですねえ」と言われて

「皆言います。それを言わない人が居たら賞をあげようと思うくらいですわwwwwしかも次にくる言葉もお見通し。 ”これまで何人くらいに毒を盛ったんですか?”でしょ」

と答えるシーンがある。

ヘイスティングスはその通りって言うんだけどそのあとにシンシアは

「あっけないほど簡単にうっかり毒を盛ってしまうことがあると知っていたら、そんな冗談は言わないでしょうよ。」

と続く。

かたやドラマの同じシーンでは、ヘイスティングスがそもそも病院には行かないんだけど、会話の中でシンシアが「看護師ですけど、病院では薬剤師として働いていますのよ。」的なことを言ったその返事でヘイスティングスに

「ははは、これまで何人に毒を盛りましたか」

と言わせる。

おいぃいいい!!

何してくれてんのこりゃああ!!シンシアにとって最もつまらない台詞をわざわざ吐かせて煽ってんじゃねええええ!!

せめてそれを言わせたならシンシアの「あっけないほど簡単にうっかり毒を盛ってしまうことがあると知っていたら、そんな冗談は言わないでしょうよ。」を忘れずに言わせろやああああ!!

実際原作通りにすべてが進む実写ってどれくらいあるのかな。見てみたい。

めちゃめちゃ

何十年か昔の話、多分、お笑い芸人二人組の、何つったっけ、岡本と矢部の二人組…彼らの番組のタイトルが、何かがめちゃめちゃイケてる感じのやつで、関東民の私には「メチャメチャ」と、2回「めちゃ」音が入ってくることがなかなか受け入れられず、結局今に至るまでに「メチャメチャ」音は自ら発せられずに来た。結局メチャメチャを言わずに何とかなって、現代において関東でメチャメチャを使う人はだいぶ減ったと思う。

しかしさっきうなぎのコマーシャルでひたすら食べるギャル曽根さんが「メチャメチャ美味しい」を連発していたのを聞いて久しぶりにウッてなった。

めちゃめちゃはまだ無理だなあと思った。

明日まで

わが市町村の優良図書館から借りている「静かなドン」の貸出期限が明日に迫っております。まぁもちろん次に予約してる人が居なければ延長してもらえるんだけどさ。

静かなドン(上)

今ここ。まだ半分未満。

今日は末っ子の行事でバイトを休みました。今日に限って大事な用が出来たけどまぁ気にせず堂々と休みます。(そんでポワロ見てる)

末っ子の部活のママたちの中に知り合いが二人ほどいて、それ以外は全員知らない人なんだけど、知り合いのママさんがいたのでその人とずっと喋ってたよ!

ですぐ帰ってきた。そして洗濯して、いい天気だから外に干したら雨が降ってきたじゃないか!!( ゚Д゚)

めっちゃ晴れてるのに我が家の庭だけ雨が降って来て、いつ止むか分からないから仕方がないから取り込んだよ。そしたら止んだよね。そういうものだからね。多分取り込まなかったら止まなかったと思う。なぜなら世界はそういう秩序で回っているからだよ…

ポワロというかあらゆる古典ディテクテブストーリーは背景が超綺麗で登場人物の服飾が美しくてつい見ちゃうんだけど人々の区別がつかないし登場人物は多いしで、何も覚えられない。。最後にポワロが「そうですあなたがやったのですムッシューだれだれ!」っていう時私は毎回「?」てなる。

本読むね?

眠れない

こんな時間でしかも明日も弁当なのに全然眠れない。

なぜなら!!

昼寝を5時間くらいしてしまったからッ!!

目ギンギン

西田敏行再放送

なんか時代劇専門チャンネルで西田敏行リスペクト再放送が行われている。

西田敏行は若いころと年取った後で骨格も違うよね。良い俳優かといえば、私は知らん。

しかし再放送で吉宗役をやっていたんだけど、松平健と顔が違い過ぎてどうしたらいいのか分からないよ。でも西郷隆盛役はめちゃくちゃ合ってるよね。顔がもう西郷隆盛だもの。

個人的には西田敏行は「敦煌」で見て、あれ、これ西田敏行に似てるなって思ったくらいだろうか。敦煌は主人公の超行徳がかっこよくて(佐藤浩市)ツルピが日本人ぽくなくて誰なんだこれは誰なんだって思った。原作はめっちゃくちゃ面白かったので敦煌読んでね。ツルピは出て来ないよ!

だから何だという話でもないんだけどよ。

イエーイ土曜日

って思うじゃん。朝というか深夜1時半に猫に起こされ、二度寝したと思ったら長子から電話で、今日土曜日なのに通常の日で調べちゃったから電車に乗り遅れたから送ってってよって言われて、ヌヌって起きて、車で送りに行くじゃん。

そんでまだ6時だし、弁当作り始めるには早いなって思って、洗濯機回しながら圧力鍋でスープ作ったよ。

そんで弁当作って朝ごはん作って暴れん坊将軍の録画見て今に至る。

もう起きてから5時間半ですよ。もう昼ご飯ですよ。昼ご飯食べよう昼ご飯。

こたつに入ったら猫の毛がすごくて皮膚のかゆみがヤバいよ。

猫に起こされた

猫がにゃーにゃー言うので何かと思ってついて行ったらコタツにもう一人の猫が入ってて自分が入れないという感じのものだった。

しかしこれは私にはどうしようも出来ないことなので、仕方ないからご飯あげといた、

食べてた。多分食べ終わったらまた起こしに来るんだろうな。

色々

そういや新興宗教にはまりそうな人類がめちゃくちゃ身近にいたんだった。(私の母親)

新興宗教にはまった友人に話を聞いたところ、古本屋で立ち読みしてたらビビッと来たという説明だったのでどうしようもないんだなって思ってたんだけど、母の思考回路をよくよく考えてみると、まあ一言で言うと短絡的なんだけど、なぜそういう思考方法に至ったのかというと、多分だけど、小さい頃、或いは成長過程において思考することを禁止されていたのではないかと思うんだよね。

途中の思考を禁止し、有無を言わさず結論のみを受け入れさせられてきたのではないかなと。

だからゴールしか見えないというか、見てはいけないと思っているんじゃないかなと思った。

誰かが「アトピーは治りますよ!」って言ったとして、その言葉だけを見て、あ、治るんだって思って飛びつく。その後についてくるのがその「治るまでの道のり、行動」なんだな。

ゴールが分かっているので、そこに向けて努力すればいいという、それが信仰というものなんだと思った。

いわゆる帰納法。違うんだけど。でもそういうこと。

そもそもそのゴールとして設定されていることそのものが、まず、でっち上げかもしれないと疑うことが許されていなかった人生なんだな。そしてそのゴールっていうのは、本当なら自分の思考の上に存在するものだという考えがまずない。ゴールは確かに絶対的に存在しているという前提のなかで物事をとらえる癖がついている。

でもさ、本沢山読んでいれば「え?違うんじゃね」って思えない?

つまり読書は究極的に自分を救うことになるってこと。