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自分を愛せない人は他人のことも愛せないっていう話さ、ずーーーっと意味が分からなかったんだけど、最近しみじみ感じる。

自己肯定感の低い人って、他人に対する扱いも割とひどいことが多い。

例えば自分の中である部分が秀でていて、その部分を自分で評価できている場合、自身の存在を肯定するには「理由」が必要で、その理由が「ある一部が秀でているから」なわけです。

実は、ある一部が秀でていなくても、または他人と比べた時どんなにダメでも、人間というのは存在していいし、愛されるべきなわけよ。

でもそれを知らない人は、自分の一部しか肯定できないというか、一部があるから存在そのものを肯定できるわけよ。同じように他人を評価する時、(そもそもその「評価」が不要)あの人は〇〇だから好きっていう感じになりがち。

好き=存在を肯定する

になりがち。

好き嫌い関係なしに、存在は肯定されないといけないんだけどね、本当は。

だから自分を愛せない人っていうのは、他人の好意の全てが自分を傷つけるために存在しているし、自分を試すために存在している。愛されるために、他人がしてくるテストに合格しないといけないんだね。自分がそうだから。

実際は、他人って自分にそこまで興味ないんだけどね。

なかなかね。

自分を愛するっていうのは畢竟他人を愛するってことと同義なんだってわかんだね。

さっきほんの一瞬だけ忙しくなってまたやることなくなった。

うわ、終わるかな!?みたいな大量の作業が降ってきたと思ったら、思ったより量も多くなくてすぐ終わっちゃった。もう帰りたい。

Dullィ

だりぃ

たぶん筋肉が落ちて脂肪になったので体が重くて仕方がないんだと思うよ。。。

すっごいだるい(重い)

こんな日は早くおうち帰るしかなくない?

だりぃ

思ったんだけど週末くらいは喫茶店で過ごしたってよくない?

それくらいの予算は準備するべき。外食は無理にしても、お茶くらいはするべき。心の健康を保つために。

私は小さいころ日曜日になると父親に連れられて近所の喫茶店に行ったものです。歩いて。その名も「しあわせ」。

いかにも昭和っぽい名前だなあ。喫茶店「しあわせ」って。なんかノスタルジイじゃん。

うちの近所にある喫茶店と言えば、ええとどこかな、タリーズ…またはマクドナルドカフェ……。まぁタリーズならまだソファ席あるからいいか。コップも陶器だし。

紙コップに入れてくる喫茶店嫌い。コーフィーは陶器のカップに入れて持ってきてほしい。昔のミスドみたいな分厚さがあれば尚良し。

まぁ話は戻るけど、昨日一昨日と連続で喫茶店に行ったんですが(一家でいくと一回7,000円とか8,000円とかかかる)、やっぱ喫茶店はいいよね。心が少し健康になったよ。食べ物メニューはどうしても食べたいものが見つからないんだけどね。

どのメニュー見ても「自分で作れる上に自分で作った方が安くて旨い」って思っちゃう!

でも一昨日は頑張ってサンドイッチを注文したよ!「網焼きチキンサンド」網焼きは家では作れないなって思って頼んだらなんか醤油甘辛味で、全然おいしくなくて悲しかったよ。キャベツの千切りとマスタードは良かった。やっぱ喫茶店ではコーフィーだけ頼もう。

さすがに

セーターは暑いじゃん。。。

でも多分だけど、この先この部屋は段々寒くなっていくはず……!

エアコンの設定温度が34℃になってて笑ってしまったw

多分この部屋が寒いんだと思うよ。寒いから上司がエアコン入れようとしたら冷房しかなくて、上げられるだけ上げたら34℃になっちゃったんだよ。状況証拠から判断してさ。。。

ここすごい田舎(というほどでもないけど)だから、ウグイスが鳴いてて、いかにも春で良い感じなんだけど、ウグイスが鳴くにしては暑いんじゃないかって今朝思ったよ。

メモ 少し賢くなったという噂のAI

あ、ごめんなさい!今、ようやく理解しました。あなたが言っている「土」は、長塚節の小説『土』(1907年)ですね。失礼しました。

この小説は、農民の生活土地に対する深いテーマを扱っています。具体的には、近代化が進む時代背景の中で、土地や農民の苦悩を描いた作品です。

あらすじ:

『土』は、ある農民の家庭が抱える生活の苦しみと、土地との関わりを中心に展開されます。主人公は、農業を生業とする人々が土地を守り、耕し、生活を支える姿を描いており、特に土が象徴的な存在として重要な役割を果たしています。

この小説は、近代化や都市化によって、農村が置かれる厳しい環境を背景にしています。農民たちは土地から利益を得ることができず、苦しみながらも、土に対する強い依存と愛着を感じています。しかし、この土を耕しながらも生きることができないという矛盾が描かれ、登場人物たちの生活には常に重い問題が立ちはだかります。

また、この作品には、農民の人間らしさとその困難を描写し、土という自然の恵みと厳しさを通して、時代の変化や社会的な葛藤を映し出しています。

主なテーマ:

  • 土地とのつながり: 土地がただの物ではなく、生活の基盤であり、象徴的な存在として描かれています。
  • 近代化と農民の苦悩: 近代化が進む中で、農民がどのように生き残ろうとしているかがテーマになっています。
  • 人間の矛盾: 土を愛し、育て、守りたいという思いと、経済的な理由でそれをうまく活かせない矛盾が描かれています。

この作品は、長塚節が描いた農民の世界を非常にリアルに描いており、農業や土地との関係が中心的なテーマとなっています。

再度、誤解を招いてしまって本当に申し訳ありませんでした!

おっしゃる通り、具体的に「ある農民」として描かれる主人公は、**「村岡徳太郎」**という人物です。

村岡徳太郎は、長塚節の小説『土』の主人公であり、物語は彼の生活を中心に展開されます。徳太郎は、厳しい農業の現実に直面し、土地を耕しながらも生計を立てるのがいかに困難であるかを感じつつ生きています。彼は、家族を養うために懸命に働きますが、その労力に見合った収穫を得ることができず、次第に土地への不信感とともに、農業を取り巻く矛盾に悩んでいきます。

この作品で描かれる「徳太郎」の姿は、単なる一農民の生活の描写にとどまらず、近代化が進む時代の中で農業が抱える問題を象徴する存在として重要です。彼は、近代化の波に飲み込まれつつある農村社会の中で、土地への愛着と厳しい現実との間で揺れ動く人間像として描かれています。

このように、「村岡徳太郎」を通して、長塚節は農民の苦悩土地に対する愛と依存、そして時代の変化に対する抵抗と受容を描いています。

誰だよ。村岡徳太郎誰だよ。

Mutually Exclusive and Collectively Exhaustive

Mutually wwwwwwwwwwwwwwwwwwww Exclusive wwwwwwwwwwwwwwwwwwww collectively wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

exhaustive…..

何言ってんの……?(真顔)

MECEっていう語を聞かれて、何だか知らんかったので検索したら上の結果が表示されたよ。あまりにバカバカしいと思ったのが、

「つまりもれなく、ダブりなく、という意味です。」

って書いてあったこと。

そう言え。ふつうにそのまま言え。

Mutualはお互いに
Exclusiveは排他的な
Collectiveは集合的な
Exhaustiveは網羅している

お互いに排他的で、

まてまて、まず排他的の意味わかってんのか。

他を排除すること。(そのまますぎるので失格)

お互いに他を排除したらお互いを排除しちゃうねえ…。

集合的にすべてを網羅する…のはまぁよし。

やめちまえ!