色々

そういや新興宗教にはまりそうな人類がめちゃくちゃ身近にいたんだった。(私の母親)

新興宗教にはまった友人に話を聞いたところ、古本屋で立ち読みしてたらビビッと来たという説明だったのでどうしようもないんだなって思ってたんだけど、母の思考回路をよくよく考えてみると、まあ一言で言うと短絡的なんだけど、なぜそういう思考方法に至ったのかというと、多分だけど、小さい頃、或いは成長過程において思考することを禁止されていたのではないかと思うんだよね。

途中の思考を禁止し、有無を言わさず結論のみを受け入れさせられてきたのではないかなと。

だからゴールしか見えないというか、見てはいけないと思っているんじゃないかなと思った。

誰かが「アトピーは治りますよ!」って言ったとして、その言葉だけを見て、あ、治るんだって思って飛びつく。その後についてくるのがその「治るまでの道のり、行動」なんだな。

ゴールが分かっているので、そこに向けて努力すればいいという、それが信仰というものなんだと思った。

いわゆる帰納法。違うんだけど。でもそういうこと。

そもそもそのゴールとして設定されていることそのものが、まず、でっち上げかもしれないと疑うことが許されていなかった人生なんだな。そしてそのゴールっていうのは、本当なら自分の思考の上に存在するものだという考えがまずない。ゴールは確かに絶対的に存在しているという前提のなかで物事をとらえる癖がついている。

でもさ、本沢山読んでいれば「え?違うんじゃね」って思えない?

つまり読書は究極的に自分を救うことになるってこと。