演技力なのか。Cho-Cho SAN

蝶々夫人についてよく思い出している。

なにがおかしいかって、ストーリーを何回聞いても、どんなに想像を張り巡らせても、どう頑張っても

「なにそのうんこ歌劇。」

という感想しか浮かばないわけよ。

どんなに頑張ってもよ。

・ピンカートン(すでに名前からして無理系)はアメリカから任務で日本にやってくるが、現地妻を紹介されて、契約を結ぶ。

・現地妻というシステムがあるらしい。関税自主権がなかったように、契約に現地妻の意思意向は存在しない。999年有効な契約書で、いつでも一方的に破棄することができる。

この2点の前提ですでにだめじゃん?詰まんなさそうじゃん?キモそうじゃん?

更に

・ピンカートンは任務を終え、蝶々さんを捨ててアメリカに帰る。

・蝶々さんは周りの忠告も聞かずずっとピンカートンを信じ、帰りを待つ。どういう忠告かというと、「もうあんたの元には戻ってこないよ」っていう忠告。

・なんと蝶々さんには息子が産まれている!!

・3年経った。

・3年経って、ピンカートンは自分に息子がいることを知る。

・アメリカで既にケイトという白人女と結婚している。

・ピンカートンはケイトを説得して息子を自分とケイトのものとして育てたいと言い出す。

キモ過ぎ人物じゃん?ピンカートンよ?ケイトもびっくりだよ。

Huh?!ピンカートンなんて変な苗字に改正させられただけでなくどっかのサルとの間に息子が生まれていて、あまつさえそいつをわが子として引き取るだと!?ファックユー、バスタード!

(ケイト目線)

・3年ぶりに日本に帰ってきたピンカートン、純粋な蝶々さんを騙した良心の呵責に耐えられず、息子のお迎えをケイトにやらせる。

・蝶々さん、ケイトに会うが、息子はピンカートンに直接渡したいから会いに来いと伝える。

・蝶々さん、ピンカートンが来る直前に割腹自殺。正確に言うと喉を掻っ切って自殺。

…これのどこが感動ストーリーなの?こんなのに感動して馬鹿なのプ―シキン、じゃなかっただれだっけ、プッチーニだ。プッチーニよ。

蝶々夫人を見た全員と、その解説者たち全員が言うことなんだけど、

「日本女性の一途さ、純粋さ、そして高潔さに涙が止まらない!!」

キメすぎキモ過ぎ無理じゃんこんなの残しやがって。

ってどんなに頑張っても無理なのよ、このあらすじだけだと。

しかし一幕を見終わったころに、あら、なんか、あれ?知ってる内容よりずいぶん良くない?なに?なんで?

「ある晴れた日に」アリアに涙を流し、閉幕のころには立ち上がって拍手するレベル。

何が起きた!?何が!?!?!?!?

この上ない不思議体験。

まずこの気持ち悪いピンカートン、エイブラハム・リンカーン・ピンカートン。いや、ベンジャミン・フランクリン・ピンカートン。

こいつがまた「士官」にふさわしくなさすぎる、超絶弱腰やさ男で、スネ夫的な、一番かわいいのは自分。弱くて目の前の人物には優しさを見せるタイプ。でも自分だけが可愛いという弱さ由来のやさしさなので多くを傷つけるタイプ。

まずこのピンカートンが、蝶々夫人をサル扱いしていないのがよかった。これが蛮族の少しだけ綺麗なメスみたいな扱いじゃないから、男慣れしていない蝶々さんが愛したのもまぁ分からないでもないかなって思わせる。

「可愛い蝶々さん」「すてき」「こんなかわいい人が(現地)妻になってくれてうれしい」みたいなことを蝶々さんに向かって沢山言うんだね。

当時の九州ジャパニーズメンだったらたぶん女を奴隷兼ゴミ箱みたいな扱いしかしなかっただろうから、コーカソイドWASPの女性に対する態度を見るだけでもう浮かれまくりだったでしょうね。しかも15歳やて。いくら当時の15歳が大人だっつっても今の20歳女子くらいの分別は有ったでしょうけど、全身全霊オタクパワーみたいなので惚れたらもう止まらないよね多分ね。サル一直線だよ。

そして何も言わずに任務完了でアメリカに帰っちゃう優男(弱男)ピンカートン。

何も言わないから、いつ帰ってくるのかなって待ち続けても全然おかしくないサル一直線最強オタク蝶々さん。

純粋な心でピンカートンを待ち続け、浮かれて歌う「ある晴れた日に」。なんていうか、細かいことをどんなに読んでも無理だけどピンカートンが優男なところと、あと蝶々さんの演技力にポイントがあるんじゃないかなって思いました。

思ったより主役は蝶々さんで、他の全員が脇役、そんで最後はピンカートンに一生のトラウマを植え付ける最強さが、人々の感動を呼んだんじゃないかなって、ずーっと考えて、そういう結論に至りました。

「蝶々さんの純粋さ」

ではない決して。多分ピンカートンが九州男児みたいな男だったらこの歌劇は観客全員が「なにこれ」で終わったと思う。

あとなんつっても、イタリア語ね。イタリア語の、オケとの相性がほんとすごかった。すごい。

イタリア語ならいいのかっていうわけじゃなくて多分だけど、プッチーニは登場人物の「ヤマドリ」の名を「これは女の名前ですよwwww」って笑われても、「ヤマドリ」の響きが良いという理由で絶対変えなかったそうだから、イタリア語の歌詞やオケの音の響きにこだわったんじゃないかなあと思いました。

ほんと良かったんだよ。ほんと。