秋晴れ

良い天気で、暑くも寒くもなく、大変心地よろしいです。

枕草子にある、自分が思っていることを相手も同じように思っていて、そのことがお互い分かっている状態が心地よいけど、それをあえて口に出してしまうのは興ざめであるっていう気持ちよくわかる。

枕草子は日本人のほとんどが知っているブログ、じゃなかった、エッセイだけども、どうせ序文しか知らないんでしょ。それどころか序文を暗記してるけど意味わかってない人もいるんじゃないの。

どうせ読んだことないんでしょっていう上から批判は絶対いけないしダサいことだと思うんだけど、序文しか知らないくせに、他の人の評価を見聞きしただけで枕草子に判断を下すのはどうなのかと思うわけです。読んでみてまずは?とは思うけど、読めばわかるけど結構日常だから、人の日常系ブログを読むのが無理な人は無理かも。私はギリだな。

私は枕草子は結構ミーハーだと思う。自分がそんなにミーハーじゃないので共感しかねるところが多いけど、共感できるところも多々あるし、中宮停止(この変換爆笑した)に対する心の捧げ方とか結構好きです。

面白いのは、平安貴族に限ってのことなのか、時代を反映してあらゆる階層において同じなのか不明だけど、敬語表現を使い分けることによって主語と目的語が省かれるということ。明らかに天皇について言及しているときは二重敬語だから天皇が主語になっても目的語になってもわざわざ書くことは不要だし、定子のお兄様とかも偉いから敬語でわかるという。なんという技。そしてなんという難解な言語。

言語を理解するにはその背景に広がる文化を理解することなしには絶対成しえないので(これ二重否定に当たるのかな)そういう意味でも古典を読むのってめんどくさいかもね。ってこの話前にもしたな。

このように入力している私の周囲では猫たちがものすごい速さでダバダバと音を立てて走り回っております。すごすぎるよ彼らは。10秒くらいハァハァ休んで、また回復して弾丸のように走り回ります。

楽しいねえ。猫はいいねえ。この話もいつもしてるな。